2024年5月に伊豆大島一周を自転車で完走後の話

前日は、伊豆大島一周をレンタル電動アシスト婦人自転車で、約4時間程で
一周を完走して伊豆の熱海港に渡り、三島市まで電車で移動した。
普段は行列の出来る三島の店の鰻を、遅い時間の夜の部に行ったので、
並ばずに美味しい鰻重を食べられた。
三島市に泊まった理由は、朝早く出発して行列の出来るさわやかハンバーグの
整理券争奪戦に早めに並ぶ為だ。
朝の5時頃に三島市の泊まったネカフェを出発して、徒歩で函南への道中を開始する。
朝食はお気に入りのすき家で納豆の朝食で、すっかり満足をした。
朝の爽やかな柿田川の流れを、眺めながら国道136号線に到着した。

国道136号は伊豆半島を南北に、移動する時に通る道だったが
史跡の旧道の案内看板がある事を、初めて発見した。

自転車で通過していた時は気にも留めなかったが、徒歩で見かけた看板の内容は
興味深かった。
そういえば何故、この道やその他の伊豆半島の各地に源頼朝の史跡が多いのだろうか。
美濃路の熱田宿・宮宿の生まれで、清和源氏一派の河内源氏の源頼朝が伊豆国に
居たその理由とは。
1156年(保元元年)に起こった保元の乱(ほうげんのらん)は
崇徳上皇方と後白河天皇方との皇位継承の争いで、源氏、平家の武力を利用し
勝利した。後白河天皇方の、源義朝と平清盛はその時は味方同士だったが、
褒賞の格差で対立を深めたという説もある。
源氏と平家の政権争いで始まった1159年
(平治元年)に起きた平治の乱(へいじのらん)で伊勢平氏の勝利となり清和源氏の一派の河内源治氏である、頼朝の父の源義朝も長男、次男は敗死し、三男の頼朝は
捕らわれ、平清盛の本拠地の京の六波羅で、死罪の処遇を清盛の継母・
池禅尼(いけのぜんに)の延命嘆願により、伊豆国・蛭ヶ小島に流刑となった。

約20年を伊豆国で頼朝は過ごし、その地の領地主で平家側だった北条氏の


その平家の平清盛の、先祖は東国の平国香であり、北条氏も先祖は平国香と言われる。
源平合戦(治承・寿永の乱)1180年(治承4年)に伊豆国で源頼朝が挙兵する。
実際は、源氏側も坂東武者の平氏系が多く平家との争いは、平氏の同氏族の争いでも
あり、それは源氏も同様であった。
そして貴族の律令制の崩壊から、武家政権の始まりの鎌倉幕府の成立となった。
その武家政権による統治の起こりは、未達であったが平将門(たいらのまさかど)
の時代に遡るとも言える。
と、次回の道中ネタバレの繋がりを伏線にしてみる。
そして現代に整理券争奪戦が、繰り広げられる話に戻ろう。
此処は伊豆国流されてオレ!なみらい三度笠は、早朝に三島の柿田川親水公園あたりから今日もさすらい、ウオーカーマシーンの徒歩で函南を目指して、
風か嵐か疾風の如く、朝8時前に店に到着をしたが誰も居なかった。

だが9時にはガランとしていた駐車場に次々に車が増え始め、整理券待ちの人の列も
増えた。
順番待ち整理券の発券は10時からで、その2時間待ちはキツかった。
しかし整理券争奪の布陣は既に、前日の伊豆大島一周電動アシスト式婦人自転車旅の計画時から敷いているのだ。そして、
このような結果に。早起きは待ち時間の得。
整理券をもらって列から解放されてお散歩後に、11時の開店時間の15分に前に店に戻ると、平日なのに大行列が出来ていて驚いた。
店員に案内をされて着席すると、4名テーブルを私1人名で独占してしまう。
良いんですか?あの待ち客達の為に、直ぐに食べ切ろうと思った。

さて初じめての、さわやかメニューは前菜のサラダとスープから食べる。
新鮮な野菜だった。

遂に俵ハンバーグが来て、店員がよくやきにしますか?ソース掛けますか?と言うので結構ですと全て断り、レアな状態でソース無しで胡椒だけふりかけて
最初は肉の旨味を味わってみた。


パンでミニバーガーを自作してワサビを足してみた。

最後はオ二オンソース掛けのワサビ和えで、ライスをたいらげる。
実に美味かった。

マンゴーパフェも見栄えが良く、美味しかった。
次にさわやかハンバーグを食べる時は、今回の約3時間待ちよりも、
待ち時間を短くする、攻略を考えようと思った。
さわやかハンバーグを食べる道中はおしまい。