※このブログはフィクションです。
実はこの記事の制作を途中でなまけて放置していた。しかし最近は期せずして辿り着いた先の隣が三峯神社の分社とか、初見の店に入ると座った席の前に、三峯神社の文字が書いてあったり。などの三峯神社絡みの偶然が続くのでご期待に?応えましょう。
2025年5月に三峯神社を初参拝しました。
三峯神社(埼玉県秩父市)は、
御祭神として(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を日本武尊(やまとたけるのみこと)がお祀りした事が始まりとなります。
この地で日本武尊を導いた白狼(オオカミ)を大口真神(おおぐちのまがみ)として祀る、非常に厳格で霊力を持つ御眷属です。害獣除け、盗賊除け、防火、災難除け、があります。ここは、生半可な気持ちや、霊的な準備ができていない者を寄せ付けない(=来ようとしてもトラブルが起きて辿り着けない)ことで有名です。
まずはみらい三度笠のその経緯を語ります。
① 2024年の旅は御霊信仰の道中
三峯神社の名の由来は、三つの峰が高く聳えるのを称え、三峯の呼称が生まれた。
日本武尊が御祀りした宮を三峰宮(景行天皇)日本武尊の父君と伝わるのが三峯神社の名の由来です。
甲斐国(かいのくに):日本武尊が三峯山へ向かう際に通った現在の山梨県。
上野国(こうずけのくに):同じく日本武尊が巡ったとされる現在の群馬県。
上総国(かずさのくに):日本武尊が東征の折に船上から山々を望み、「三峯山」と名付けたという伝説が残る千葉県エリア。
その今回の道中はサイバー大八車で走り、三峯付近の道の駅で車中泊をしてから、
早朝詣りで奥宮まで行く事にした。
賑わいの消えた静まり返った深夜の道の駅で、深夜に寒さから尿意に目覚め寝ぼけてトイレに行く。秩父の澄んだ空気の夜空に星が都内より多く輝いていた。

建物の屋根にツバメの巣があり、子ツバメ達が巣の外にお尻を出し自分のフンで巣の中を汚さないようにして寝ていた。本能の行動なのだろう。隣に吊るされた板の上で親ツバメが昼間のヒナ達の餌探しで疲れ果て、小首をかしげるポーズで寝ており可愛いので起こさないように、そっと通過した。
道の駅を早朝に出発をして、国道140号秩父往還の道を走ると三峰神社の参道があり一の鳥居があった。

この参道は登山装備が必要との事で、そのまま車で国道を進み秩父湖の二瀬ダムが見えた。
荒川もこの上流の秩父は、源流に近く水がとても綺麗だ。
私は荒川サイクリングロード歴は20世紀からだが、荒サイを走ると何故か気分が落ち込み鬱気味になるので今は行かない。
多摩サイ、江戸サイではそんなことは無いのだが何故だろう。学生時代に雲取山を自転車の愛車ブリジストンクロモリ車でパスハンしてみようと思ったまま、あっという間に時は流れまくり2026年になっており光陰矢の如し。今やパスハンターを知らない者が増えた。
山岳登山道系サイクリングをしていた学生時代は奥多摩周遊一周や、陣馬山からの登山道を高尾山まで根道をガタガタとリムをゆがませて走り、都内の自宅往復を自走していた。
私が雲取山サイクリングを計画した頃には無かった、雲取山への登山道には平将門迷走ルートの看板が設置された。完全にフィクションであるが異世界物として興味深い。
近年は竈門炭治郎の故郷の設定が聖地としても、有名になっていた。
三峯山は神仏習合の修験道で熊野地方に似たこの辺りは、山脈の地層が3つの時代で形成されている。三峯神社の付近の地層は四万十帯の地層で白亜紀に付加し1億年前~6500年前。
奥宮のある妙法ヶ岳は秩父帯の地層でジェラ期に付加し2億年前~1.5億年前。
秩父線の終点付近は新生代の地層で1700年前~1500年前~50万年前。
私が三峯を知りながら、この地に動けなかった時は数十年だが、それどころでは無い時を超えた地層群が放つ威厳を感じる。
昨晩は降っていたが早朝に止んで晴れ雨に清められて、お詣りでは縁起が良い事だそうだ。
到着した早朝6時頃の三峰神社の広い駐車場は、まだ数台しか車は停まっていなかった。後で知ったが人気故に、駐車場は空き待ちで渋滞するそうだ。

三峯神社は明治時代の神仏分離令までは「観音院高雲寺」という修験道の寺院として神社と一体で栄えた。
それは先月に初のお詣りした出羽三山神社に続き、修験道の聖地への参拝だった。

先程サイバー大八車で通過した秩父往還道国道140号線の、三峯神社表参道に一の鳥居があるので正しいカウントが良く分からない。
呼ばれなければお詣り出来ない三峯神社と言われるが、私の場合は長い道中の最後に来るべき神社であったかという事に気が付いた。忘れかけてた10代の三峯と雲取山への想いが蘇る。

早朝の雨が止み、朝露に濡れた新緑の奥宮の表参道口は心地良い空気が流れる

一の鳥居に着くとその近くにある石道標には左奥の宮と右 白岩雲取山と刻まれている。
周辺にクマや蜂や残雪の注意の警告が書かれていた。木の根の張出たマキ道の参道には、木にピンクのテープが巻かれ道に迷わないようにマーキングされていた。
見落とさないように、歩けば着くので助かった。
落ちている1.5m程の枝を杖にした。、最近は目撃情報が多くなったクマ対策の装備であるが、落ちてた木の棒を装備したお陰で、杖になりラクに登れる。

二の鳥居は急勾配が始まる場所にある。

三の鳥居は鎖場の手前の急勾配にある。

四の鳥居は写真無し。勾配がきつくなる。

クサリ場の単管パイプの階段を上がる。

山頂の急な斜面の岩場は鎖に摑まり、1時間位で標高1332mの
妙法岳山頂にある三峯神社の奥宮に到着した。


奥宮の祠の前の地面に、綺麗な黄色に黒い粒粒の芋虫が居た。
ハバチの幼虫だろうか、不快感が無い姿だった。
奥宮だけに幼虫から羽ばたく蝶に、生まれ変わるという暗示だろうか。


奥宮
御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)
初の御詣りした。狛犬が御眷属の狛狼(大口真神)で小さい狛狼が山頂の敷地の石拝殿に居た。眺めが素晴らしくて感激した。

妙法岳の奥宮から、三峯神社拝殿の方を眺めるが木が深く建物は見えない。
周囲は遠くまで山脈が広がり続く、絶景のさわやかさ。下山の岩の急斜面の鎖場ではどうしても岩に手を着くので、手袋は必要だった。
その後の下山では軍手は無用なので、これから登る方に差し上げた。
下山して一の鳥居まで戻り、三峯神社拝殿に参拝に向かう。

早朝の到着に比べてかなり参拝者が増えており、此処に居なかった鹿達が居た。

とても珍しい三つ鳥居は、奈良の三輪明神大神神社の三つ鳥居も思い出す。
そういえば修験道の役小角は、奈良出身で三輪明神大神神社と所縁がある。
修繕したので白さが輝き綺麗だった。

随神門は江戸時代まで神仏習合で、仁王門と呼ばれ仁王像が置かれていた。
明治以降、廃仏毀釈などにより神社となり随神門となる。
此処から下り参道となり、再び本殿に石階段で登り始める。

拝殿の両脇に樹齢約800年と言われる、巨大な杉の木が聳え立つ。

煌びやかで美しい拝殿。


平成24年2012年辰年に、突如現れたという拝殿前の石畳の龍神様です。
小教院は寺院で元文4年(1739)に再建された。

かつては三峯山高雲寺として、観音像が安置されていた。
現在はコーヒーハウスとなっている。みらい三度笠は早朝の奥宮詣りでお腹が空いていたので興雲閣で昼食にした。

五望天うどんこの場所ならではのネーミング。更に椎茸丼を注文した。

大きい乾燥シイタケの醤油煮をフライして、精進料理のようだがキノコ好きには肉厚のシイタケの触感が美味しく、キノピオにも作れない旨さだった。

御眷属を祀る遠宮(御仮屋)をお詣りした。食事してからだけど先に奥宮行ったからという言い訳をする。


遠宮 大口真神を祀る 初めて御詣りをしました。
お赤飯がたくさんお供えされていました。
御眷属様を祀る大口真神神社の裏は、木々の生い茂る急斜面。
力強い良い風が眼下に見渡す山脈を走り抜け、遠宮に吹き上がって来る豪快さと爽やかさを兼ね備え、木漏れ日の新緑の美しさを感じた。確かにそれは狼だった。

気になったのは手水舎の蓋がコンパネに見えた事です。もしそうならばホルムアルデヒドの問題が有るので、ホルムアルデヒドフリーの完全耐水合板T1やステンレスなどに交換して欲しいと思った。

早朝の妙法岳の奥宮から見えた場所の、三峰山の奥宮遥拝殿に来た。

右手に奥宮があるが社殿は全く見えないが、眺める山脈の豊かな自然にパワーを貰う。

今回は三峯山の山頂は知らなかったので、未踏の地となりました。
これで長年の夢が果たせました。
おしまい。



































































































